2017年12月07日
RYUSO HISTORY#2 背中を押してくれるもの
そうして独立する事となったのですが、それまでは親方の道具を使わせてもらって仕事をしてましたから自分の道具はありません。道具といってもすべてを揃えると20万円30万円はすぐにかかります。恥ずかしい話、その時はろくに貯金もしていませんでしたので、しょうがなくカードキャッシングで40万円ほど借り必要なものを買い揃えました。
車はなんとかローンを組んで買ったマイカーがありましたので、それをそのまま現場用に使う事にしました。今思い出しても後先考えずに始めたな~と思いますが、逆に言うとそれだけ勢いがある年代だったからこそ、そこまで悩まずに経営者の道に飛び込むことができたのだと思います。
独立するきっかけとなったのは他にもう一つあります。私の母方祖父が山口県宇部市という街で中小企業ではありますが経営者をしておりました。現役の時にはライオンズクラブ会長をはじめ、大学OBによって作られた社団法人(地域の工業会)会長を何期も務めるなど、今となって思えば尊敬できる祖父でした。(子供の時はわかっていなかったですが)その祖父が亡くなる少し前、私は祖父の元を訪ねる機会がありました。その頃はちょうどいろいろ悩みながら親方のところで働いている時でした。
その頃の祖父は何度も手術をした後で、自宅に戻ってからも鼻から何か医療用の管を通しているような状態でした。しかし祖父は私たちを街の中心部の寿司店へ夕食に連れて行ってくれました。そこでいろいろ自分の話をしていると、ずっと技術畑で生きてきた祖父は私に言いました。「建設業の現場職人という仕事も家づくりというりっぱな技術職、いつまでも人に使われていたらつまらんよ」 私は強力な後押しを受けたような気持になった事を覚えています。
「若いのにやめておけ」「失敗したらどうするんだ」祖父はそんなまわりの皆さんがよく言ってくれたアドバイスとは全く違う答えをくれたのです。もしかしたら私はそこで独立という道を決めていたのかも知れません。
話を戻しますが、独立して1年程は想像していた以上に順調に進みました。もちろん工期が無かったり納まりが難しい現場などでは本当に苦労しましたが、努力した分だけ自分に返ってくる。そんな状況が私に苦労を感じさせなかったんだと思います。そんな勢いのまま10代の頃から付き合い、私が独立してからもずっと支えてくれていた彼女と結婚致しました。そしてそれと同時に私は初めて人を雇い入れました。
それからの長い経営生活の中で最初で最後、社員数が1から2になる瞬間でした。この順調な流れのままどんどん人を増やし、いつも親方に語っていたように自分自身が成長していくぞ!!そう意気込んでいました。しかし結婚生活と人を雇用する立場となった生活は、23歳の私にとってそう簡単にいくようなものではありませんでした。私は現実を痛感したのです。
STANDARD LIFE by RYUSO
車はなんとかローンを組んで買ったマイカーがありましたので、それをそのまま現場用に使う事にしました。今思い出しても後先考えずに始めたな~と思いますが、逆に言うとそれだけ勢いがある年代だったからこそ、そこまで悩まずに経営者の道に飛び込むことができたのだと思います。
独立するきっかけとなったのは他にもう一つあります。私の母方祖父が山口県宇部市という街で中小企業ではありますが経営者をしておりました。現役の時にはライオンズクラブ会長をはじめ、大学OBによって作られた社団法人(地域の工業会)会長を何期も務めるなど、今となって思えば尊敬できる祖父でした。(子供の時はわかっていなかったですが)その祖父が亡くなる少し前、私は祖父の元を訪ねる機会がありました。その頃はちょうどいろいろ悩みながら親方のところで働いている時でした。
その頃の祖父は何度も手術をした後で、自宅に戻ってからも鼻から何か医療用の管を通しているような状態でした。しかし祖父は私たちを街の中心部の寿司店へ夕食に連れて行ってくれました。そこでいろいろ自分の話をしていると、ずっと技術畑で生きてきた祖父は私に言いました。「建設業の現場職人という仕事も家づくりというりっぱな技術職、いつまでも人に使われていたらつまらんよ」 私は強力な後押しを受けたような気持になった事を覚えています。
「若いのにやめておけ」「失敗したらどうするんだ」祖父はそんなまわりの皆さんがよく言ってくれたアドバイスとは全く違う答えをくれたのです。もしかしたら私はそこで独立という道を決めていたのかも知れません。
話を戻しますが、独立して1年程は想像していた以上に順調に進みました。もちろん工期が無かったり納まりが難しい現場などでは本当に苦労しましたが、努力した分だけ自分に返ってくる。そんな状況が私に苦労を感じさせなかったんだと思います。そんな勢いのまま10代の頃から付き合い、私が独立してからもずっと支えてくれていた彼女と結婚致しました。そしてそれと同時に私は初めて人を雇い入れました。
それからの長い経営生活の中で最初で最後、社員数が1から2になる瞬間でした。この順調な流れのままどんどん人を増やし、いつも親方に語っていたように自分自身が成長していくぞ!!そう意気込んでいました。しかし結婚生活と人を雇用する立場となった生活は、23歳の私にとってそう簡単にいくようなものではありませんでした。私は現実を痛感したのです。
STANDARD LIFE by RYUSO
ryuso at 20:53│Comments(0)│RYUSO HISTORY